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夕凪の街 桜の国

夕凪の街桜の国
夕凪の街桜の国
こうの史代  双葉社  

 「夕凪の街」は昭和30年の広島が舞台で、10年前に被爆した若い女性皆実の揺れ動く心とその死を描いています。「桜の国(一)」と「桜の国(二)」は東京で生活する被爆者の娘七波が主人公で、前者は昭和60年代、後者は現代の話です。注意深く読まないと見落としてしまいそうですが、七波の父は皆実の弟(疎開していたため被爆はしていない)であり、この二つの物語はその底辺で繋がっているのです。
 1年前に単行本化されたこの本は大きな話題を呼び、すでに16万部が発行されるベスト・セラーとなりました。

 10月14日の朝日新聞夕刊にこの本が韓国で出版されるという記事が掲載されていました。出版にあたってはさまざまな意見もあったようです。「加害者である日本人が原爆被害を言うこと自体に違和感が強く、出版社は日本人の考えを代弁しているように受け止められることを警戒しているからだ」という研究者の話が紹介されています。
 そして、韓国で出版される同書には「原爆投下は戦争を終わらせるためのやむをえない決定だったが、これはあのとき犠牲になった人々の苦痛と悲しみについての物語である」という前書きがつくそうです。

 ぼくがこの本を最初に読んだのは半年ほど前のことですが、この本にもそして今回の新聞記事にも多くのことを考えさせられしまた。しかもその両方が頭の中のどこかで薄々理解していながら、あえて考えないようにしていたことだと思えます。
 原爆の直接的な惨禍については、日本人であれば何度となく資料映像などを目にし、また「黒い雨」といった記録文学にも接してきました。しかし、時を経て被爆に苦しんだり亡くなったりした人たちのこと、世代を超えてその被害を受け続けている人たちのことは驚くほど目にする機会も少なく、自らも目を向けようとしてきませんでした。わずかに、毎年「原爆の日」の報道のなかで「今年新たに名簿に加えられた人は...」という数字が今も続く被害を伝えていて、それを聞くたびに心を痛めるばかりです。
 また、そのように日本に悲劇をもたらした原爆が、日本の植民地支配に苦しんできたアジアの人たちにとってはそれから解放される希望の光であったという事実。このことも歴史を認識していればどこかでそういう見方があるとということを理解していていいはずのとこですが、個人的にはそのようにストレート考えることができたのは今回の新聞記事に接したときが初めてでした。

 この作品はすでに映画化も決定しているようです。映画になればさらに大きな話題になることでしょう。戦後60年、先の戦争を戦後生まれのぼくらの世代がどう理解し、さらに若い世代、いまの子どもたち、これから生まれてくる子どもたちにどう伝えていくか、そのことが問われると思います。
 ぼくは子どもたちと接する機会に、あまりにもいまの子どもたちが戦争というものを知らないという事実に愕然とするとともに、焦りのようなものを感じずにはいられません。

海 五郎 * 漫画 * 02:08 * comments(11) * trackbacks(1)

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コメント

海さん、あまりにも深い問題ですので私のコメントが誰かの心を痛めませんように・・と祈るばかりです。が、読んでいないのにコメントをさせてください。
「原爆投下は戦争を終わらせるためのやむをえない決定だったが、」というこの理解そのものが大きな過ちであると私は信じています。
この第二次世界大戦の、特に日本の立場に関する認識や評価はきっともう少し時間が必要なのでしょう。ですから、コレについては今は何も言えません。
しかし、「原爆投下は戦争を終わらせるためのやむをえない」この言葉こそ「偽り」であると、いつか世界中の方々が認識してくださることを信じています。
海さんのコメントを拝見しながら、先日私がとりあげさせていただいた「人生は廻る輪のように」(キューブラー・ロス著)でのドイツユダヤ人収容所マイダネック跡地での出来事に強く思いが向きました。本当に「せっかく救われた命を、憎しみのたねを撒き散らすことに使ったとしたら、わたしもヒトラーと変わらなくなる。憎しみの輪を広げようとする哀れな犠牲者のひとりになるだけ。平和への道を探すためには、過去は過去に返すしかないのよ」というゴルダという女性の言葉は、全ての悲しみにある方たちにとっての救いの言葉だと信じています。
きっと「原爆」にご自身の人生を、家族を、愛する方々を奪われた方も、きっとゴルダと同じ思いで生きておられるのだと、そう信じてやみません。
だからこそ、「原爆投下は戦争を終わらせるためのやむをえない決定だったが」という傲慢な認識を当たり前にしてはいけないと、心からそう思っています。
失礼かとは思いましたが、よろしければ私のブログの本・「人生は廻る輪のように」2抜粋(2005年9月記事)にあるゴルダの抜粋をご覧ください。ありがとうございました。
Comment by rolferK @ 2005/10/18 2:33 AM
海 五郎さん、こんにちは。
このコメントを読んでくださる方、ネタバレかもです!ご注意を。

この本の帯には
「読後、
 まだ名前の
 ついていない感情が
 あなたの心の
 深い所を
 突き刺します。」
と書かれています。
たしかに、私は
読んだあと(途中も)「まだ名前のついていない感情」に支配されて涙が止まりませんでした。
この感情は、日本に対して被害者意識を持っている国の方達が読んでも、必ず沸き起こる類いのものです、たぶん。
自分が生きているとはどういうことなのか、
ということそのものを問われる本だからです。
問題の文章は、この本を韓国でどうしても出版させたいと思った方が、妥協策として入れるに至った一文だ、ということが、くだんの新聞記事から読み取ることもできました。

私たち日本人が原爆を落とした国アメリカに対してしている接し方程度には、アジアの国々が日本に対して被害者感情を抑えてつきあう方法が必ずあるはず、と戦後だいぶ経ってから生まれの私は思います。憎むべきは抑制の利かなくなった権力であって、国民1人1人ではないということくらいはもうみんなわかっていると信じたい。

おそらくこの本を読んだ良心ある方は、どの国の人であっても
「原爆投下は戦争を終わらせるためのやむをえない決定だった」という自分の認識を覆されるのではないでしょうか?

そのことこそが、次に同じテーマの本を
傲慢な認識を無しに出版できる、鍵になるのだろうと
私は思っています。

こうの史代さんも、そのためにその文章を受け入れ、
韓国向けの序文を新たに書くに至ったのだと思います。

読んでみることこそが大切!
という本です。

ながながと、横レスを失礼しました!
海さん、rolferKさん、お許しを。
Comment by NOBITA @ 2005/10/18 7:50 PM
rolferKさん
「やむをえない決定」という考え方については、ぼくも間違っていると思います。その解釈は、同じようにやむをえないケースが今後発生した場合は核の使用をやむなしとする考え方から生まれてくるものですからね。
そして、そういう考え方を改めるには、世界中の人々が被爆が生み出す悲劇を認識することが原点になると思います。そういう意味では、この本が韓国で出版されることの意義は大きいのではないでしょうか。
NOBITAさんの上のコメントにもあるように、韓国の読者が「やむをえない」という考え方を読後に覆されることを願ってやみません。
ぼくが今回の新聞記事で言い様のない思いを抱いたのは、その役割を担ったこの本の出版に際して、あえて「やむをえない決定」という文言を使用せざるを得なかった矛盾に対してです。歴史はかくも重く、かくも複雑です。

ゴルダの「過去は過去に返すしかないのよ」という言葉にはぼくも強い共感を覚えます。しかし、過去に返すためには真摯な歴史認識が前提になることは言うまでもありません。そこが「国体の存続」を前提に敗戦を受け入れた日本とナチスドイツとの決定的な違いです。
すでに戦後60年。時間は十分すぎるぐらいに経過しました。そこを曖昧にしてはアジアの一国としての日本に未来はないと思います。
Comment by 海 五郎 @ 2005/10/19 3:38 PM
NOBITAさん
ぼくが記事の本文であまり本の内容についても、新聞記事の内容に関しても書かなかったのは、とりあえずいろいろな議論の前にこの漫画をひとりでも多くの方に読んでもらいたかったからです。
でも、上のコメントで少し書いてしまいました。
というわけでここであまり議論をすることが本意ではないので、申し訳ないですが上のコメントも合わせてお読みください。

NOBITAさんのコメントについてひと言だけ書かせていただきます。

>憎むべきは抑制の利かなくなった権力であって、国民1人1人ではないということくらいはもうみんなわかっていると信じたい。

これについては少しだけ考えていることが違います。その権力を支えているのが国民一人一人だということも忘れてはいけないように思うのです。だから、国民を憎めというわけではありません。ただ先日もどこかで書いたのですが、「国民はその資質に見合った政府しか持ち得ない」ということを重く受け止めなければいけないのではないでしょうか。靖国参拝を続ける首相を選んでいるのは日本の国民です。
この間のアジアにおける反日感情に関する報道について、日本政府はもちろん、日本の市民社会、つまりは国民一人一人の側にも責任があるとぼくは考えています。
Comment by 海 五郎 @ 2005/10/19 4:15 PM
海 五郎さん、
前回は長々とコメントを(しかも横レス)入れてしまいすみませんでした。
ご指摘を受けた文はわたしもじつは(自分で書いておきながら)気になっていました。昨日もまったく別の会話での「ヒットラーだって民主的に選ばれてるのよねー」という言葉に深く頷いたばかりです(こんな会話を近所のヴェローチェで話してる私ってどうなんでしょう・・・(--;))。
考えがまとまったら、後日TBします。
Comment by NOBITA @ 2005/10/19 9:09 PM
NOBITAさん
「わくわく本」では横レス大歓迎です(笑)。
それに長文コメントでそちらのブログを荒らしているのは、いつもぼくの方ですからね。
こうやって話題になること自体に「夕凪の街 桜の国」の存在価値はあると思います。作者が新聞記事のなかのコメントで語っていたように「ここから変わっていければ」いいのではないでしょうか。
Comment by 海 五郎 @ 2005/10/19 11:25 PM
はじめまして。
NOBITAさんのところから来ました!

このマンガ、是非読んでみようと思いました。

幼稚園と小学校の8年間を、広島で育っています。
広島のローカルニュースでは、
当時でも、毎日のように原爆のことをやっていました。
「語り部の会が開催されました…」
「抗議の電報を打ちました…」
長崎の事情はまったく知りませんが、
広島では、原爆は過去のことではなく、
たしかに今に続いています。

現在は関東地方在住ですが、
原爆のことを考えるのは年に2回くらいのものです
(8/6と8/9)。
同じ被爆国でありながら、
直接的な被害を受けた地域かそうでないかだけで、
これだけはっきりとした温度差があります。

一人でも多くの方(海外の方も含め)が、
原爆について考えるきっかけになるようといいですね。
Comment by nobi_yura @ 2005/10/20 4:23 AM
nobi_yuraさん、ようこそ。
ほんとうに直接被害を受けた地域とそれ以外では温度差がありますね。そのことは作者のこうの史代さんも指摘されていました。
もっとも、ぼくの印象では1970年代まではもっと身近に話題にされていたように思います。いまは原爆のことだけでなく、たとえば水俣病のことなども関心は薄くなってしまったのでしょうか。
ぼくは以前の仕事で「ときのオアシス」という時間をテーマにした小さな公園造りを手がけたことがあるのですが、そこの入り口にある大きな時計のモニュメントはいまでも広島が被爆した時間を示し続けています。
いつまでも日本人が忘れない時であってほしいですね。
Comment by 海 五郎 @ 2005/10/20 8:32 AM
今晩は。突然ですが、映画「父と暮らせば」の一こま一こまが、宮沢リエさんの語り口と一緒に思い出せて・・・私にとって、初めて「広島」を感じた映画でした。「ありがとありました・・」広島の言葉はいいですね。
Comment by rolferK @ 2005/10/21 3:28 AM
rolferKさん
広島のことばって、いいですよね。
子どもの頃、広島出身の一家が身近にいらしたのですが、今思うととても人間味のあることばだったと思います。
テレビ放送が始まってもう50年以上、それでも方言ってなくならないものなのですね。なんか、そのことっていいな。
Comment by 海 五郎 @ 2005/10/22 1:08 AM
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Comment by コーヒープリンス1号店 コンプリートDVD-BOX @ 2013/12/13 4:55 PM
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平和を願って 1 『夕凪の街 桜の国』

今日は、61回目の広島の原爆の日・・・。読んだことすら忘れてしまう本もあるのに、
From ちょっと絵えほん♪ @ 2006/08/06 10:47 PM
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