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もりのおんがく

もりのおんがく (講談社の創作絵本シリーズ)
もりのおんがく (講談社の創作絵本シリーズ)
谷内こうた/絵と文  講談社   

 雨上がりの休日の午後、近くの公園まで散歩に出かけました。公園と隣接して米軍用のゴルフ場があります。そして、そのゴルフ場を抱くようにして背後に大きな森が広がっています。
 公園内を通過する道路にかけられた大きな人道橋を渡っていたときです。雲の切れ目から斜めに差し込む太陽の光が幾筋もの線となってその森に降り注いでいました。明るく新緑に輝く部分と暗い緑の部分が縞模様のように見える森からは、なぜか森のざわめきが聞こえてきそうでぼくは思わず耳にしていたヘッドホンを外しました。
 子どもの頃から森で得た記憶は、不思議と鮮明な形で心に残っています。木漏れ日の光から湿った地面の草や枯れ葉、そこの土壌の色合い、耳にした小鳥たちのさえずりまで。きっと、森には人の心の奥底にその存在を刻み込む力があるのでしょう。

 谷内こうたさんの新作絵本は、作者が暮らすノルマンディーの森からインスピレーションを得て生まれた「もりのおんがく」です。

 もりも うたう
 ひかりの オーケストラ


 森の深い緑と木漏れ日の優しい光が織りなす、音なき音楽の絵本です。静かにページをめくると耳からでなく自分の内側からかすかな響きが伝わってくる。そんな気分にさせられました。

※文中の太字部分は「きみとぼく」より引用

海 五郎 * 日本の絵本 * 23:59 * comments(0) * trackbacks(0)

とき

とき
とき
谷川俊太郎/ぶん 太田大八/え  福音館書店   

 「とき」(時間)の概念をとらえるのはおとなにとっても、とても難しいことです。それを幼い子どもに一冊の絵本で感じ取ってもらおうというのが、今回復刊された「とき」です。

 地球の誕生に始まって、恐竜がいた大昔のそのまた昔、原始時代……。やがて、おとうさんの子どもの頃があって、おとうさんとおかあさんが結婚して、わたしが生まれました。絵本各ページで表現されている「とき」の間隔はしだいに短くなっていき、おととし、三月前、きのう、けさ、6時間前、さっき、一秒前と続き、ついには今に至ります。

 ときは けっして あともどりしない
 だれも ときを とめることは できない


 この絵本が最初に「かがくのとも」で発行されたのが1973年。絵本化されたのがその11年後の1984年。今回の復刊(5刷)はそれから24年後になります。
 そうして、ぼくたちおとなは「とき」の流れを振り返ることができます。でも、それは自分の人生がそれなりの歳月を経てきたからこそ、それを物差しとして思いを巡らすことができることでもあるわけです。
 まだ、小さい物差ししか持ち合わせていない子どもたちの頭の中は、どんな具合に「とき」を感じるのでしょう。いやだからこそ、きのうやけさ、6時間前といった過去をこの絵本では示しているのでしょう。ぼくが子どもの頃にはもちろんこの絵本は存在しなかったわけですが、できれば幼い頃に出会ってみたかった絵本です。
 
 ところで、太田大八さんの絵はぼくも子どもの頃に本の挿絵で親しみました。J.ベルヌの作品などに胸を躍らせたのは、今思えば太田さんの挿絵の影響も大きかったのでしょう。かつて読んだ本の挿絵は、文章以上に当時の気持ちをよみがえらせてくれます。

※文中の太字部分は「とき」より引用

海 五郎 * 日本の絵本 * 00:40 * comments(0) * trackbacks(0)

きもち


きもち
きもち
谷川俊太郎/ぶん 長新太/え  福音館書店   

 子どもが身の回りの世界を少しずつ認識していかなければならないとき、そこに斬新な切り口でそっと世界を切り取って見せてくれるおとながいたら、そんなすてきなことはありません。
 谷川俊太郎さんと長新太さんがかつて月刊誌「かがくのとも」に残した名作「きもち」が待望の絵本化です。このお二人の絵本では個の社会的関係を描いた「わたし」があまりにも有名ですが、それに負けず劣らずこの「きもち」も痺れます。
 なぜって、人の様々な「きもち」がなんなのか、それを絵本にしてしまった作品だからです。しかも、表紙には「谷川俊太郎 ぶん」って書いてありますが、ページをめくってもめくってもなかなか谷川さんのテキストは出てきません。絵の中の捨て猫が入れられた段ボールに書かれた「ほしい人は どうぞ かわいがって ください」というのは、谷川さんのテキストなのか長さんの絵なのかって、おとなはどうも余計なことを考えます。
 谷川さんと長さんの共同作業がどのように行われたのかもついつい想像してしまいます。「長さん、前半はぼくの原稿ないんだけど、こんな風に絵を描いて」なんて言ったのかなとか、それとも長さんの絵を見て「この絵にはもうぼくのテキストはいらないね」だったのかなとか……。これはあくまでもぼくの想像ですよ。

 全28ページの絵本で、活字が登場するのは22ページからです。

 いろんな きもちが
 うまれては きえ
 きえては うまれる
 やさしいきもち
 おこるきもち
 はずかしいきもち
 おそろしいきもち……


 しかし、この絵本は「きもち」を扱っているだけに、とても奥が深くできています。表紙に描かれた自動車のおもちゃ。この自動車に注目して読み進めれば、そこには活字が入り込む隙がなかなかないほどのドラマが広がります。

 なお、本書の刊行と同時に谷川さんの認識絵本でやはり重要な作品である「とき」と「こっぷ」も復刊されました。

※文中の太字部分は「きもち」より引用


海 五郎 * 日本の絵本 * 02:00 * comments(2) * trackbacks(0)

こやたちのひとりごと

こやたちのひとりごと
こやたちのひとりごと
谷川俊太郎/文 中里和人/写真  ビリケン出版   

 ぼくはあまり旅行に出かける人間ではないのですが、国内の地方を旅するのはとても好きです。それもいわゆる観光名所をめぐるのではなく、なんでもない田舎の風景を見たり、小さな街でおいしい珈琲に出会ったり、そんな旅が好きです。
 ところで、田舎の風景でいつも目を奪われるのがそこに毅然として建っている小屋たちの存在です。ついついカメラのシャッターを切っている自分がいます。ぼくがそうやって小屋たちの存在を気にし始めたのはじつはずっと昔のことで、小学校高学年のときに海水浴に出かけたはずの若狭湾で、なぜか漁船と小屋の写真ばかりをカメラに収めていたことをよく覚えています。
 だから何年か前に、この中里和人さんの写真を目にしたときは、やられたなと思う反面、とてもうれしく思いました。
 それにしても小屋の生みの親である田舎の人たちの美学にはいつも感心させられます。ありあわせの建材でつくったであろうその存在が、どれも個性的な魅力を持っているからです。おそらくそれは、畑や田圃といった風景の中に佇んでいることもその理由だと思いますが、それだけで説明のつくものでもありません。
 そんな小屋たちの姿を見ているといつも何かを語りかけられているような気になるのですが、そのつぶやきを谷川俊太郎さんがテキストにしてできたのがこの絵本です。

 ぼくをたててくれたひとは えらくない
 えらくないから すきなんだ

 ひとが はいってくると くすぐったいんだよ
 いつも からっぽで くらしているから


 こういう絵本を通して子どもたちが何かを感じ取ってくれることは、その子の将来にとても大きな意味をもつかもしれません。いつも思うことですが、世界の見方、感じ方を示した谷川俊太郎さんの一連の絵本は、きっと子どもたちの心の奥底にしっかりと良質な根を張る、そんな価値をもったものだと思います。

※文中の太字部分は「こやたちのひとりごと」より引用
海 五郎 * 日本の絵本 * 23:57 * comments(0) * trackbacks(0)

おとうさんをまって

おとうさんをまって (こどものとも絵本)
おとうさんをまって (こどものとも絵本)
片山令子/作 スズキコージ/絵  福音館書店   

 時代が変わるにつれて存在感が薄らいでいくものがあります。
 男性としては悲しいことに「父親」もそのひとつでしょう。ぼくも自らの「父親」というラベルを思うと、どうも居心地が悪くなります。
 そして、この絵本に出てくる汽車。もちろん、現代どころかぼくの幼いころでさえ汽車は電車にその主役の座を奪われ、ほとんど見かけることがありませんでした。それでもぼくが子どもだった時代は汽車に取って代わった電車が、幼い子どもにとってあこがれの対象であり、大きな存在感を放っていました。ぼくも小田急線の跨線橋の上から飽きることなく電車を眺め続けたことを記憶しています。

 この絵本に出てくる男の子は、汽車で遠くに仕事へ出かけていく父親を見送り、その帰りを待ちます。

 ぼくは いつも きしゃが はしりだすまえに えきを でるんだ。
 それはね−
 りくばしに はしっていって、おとうさんの のった きしゃを みるためさ。
 きしゃが ちいさくなって、きえちゃうまで みてるんだ。


 男の子は帰り道におもちゃ屋のウィンドウで汽車のおもちゃを見つけ、その汽車に父親への思いを重ね、毎日そこに通うようになりました。
 父親を待ちわびる男の子の心模様を静かに描いた片山令子さんのお話。スズキコージさんのノスタルジックな絵にその切なさが増します。
 ほんとうは今も昔も子どもたちの思いは変わらないはず。変わってしまったとしたら、大人である父親の側なのでしょう。現代の子どもたち、そして父親にこそ読んでほしい絵本です。

※文中の太字部分は「おとうさんをまって」より引用
海 五郎 * 日本の絵本 * 00:09 * comments(4) * trackbacks(0)

トントンドア

トントンドア
トントンドア
山崎ゆかり/文 荒井良二/絵  偕成社  

 トントンドアを
 トントントン


 ドアから太鼓を先頭にいろいろなおもちゃが男の子のところにやって来ます。男の子がきょう一日に体験したまぶしいばかりの出会い。

 さよなら きょうの みんな

 きょうという日をしっかりと抱きしめて男の子は眠りにつくのです。

 日本のロック・ポップス界において異彩を放つ空気公団と荒井良二さんのコラボレートで生まれた不思議な絵本。付録のCDには空気公団による「トントンドア」が収められています。
 空気公団と荒井良二さんのコラボレートはこれが初めてではなく、これまでにも空気公団のCDカバーを荒井さんが手がけたりしています。中でも2000年にリリースされたミニアルバム「呼び声」のカバーはとても印象的なものでした。近く発売される全曲新録によるベストアルバム「空気公団作品集」のカバーも荒井さんの手によるものです。
 それにしても、空気公団の音づくり、山崎ゆかりさんのコーラスワークが表現する独特のゆるい世界にはついつい引き込まれます。まるで荒井さんの絵を音にしたしようでもあるし、荒井さんの絵が空気公団の音を絵にしたようにも思えてきます。
 空気公団と荒井良二さん、二つの個性が出会ったこの絵本はまたとない子どもたちへのプレゼントとなることでしょう。日本にもこうしてアーティスト、ミュージシャンなどがその活動の一環として子どもたちに目を向ける動きが少しずつ広がっていることを心から喜びたいと思います。
 さあ、CDを聴きながら絵本を開きましょう。

※文中の太字部分は「トントンドア」より引用 

海 五郎 * 日本の絵本 * 20:19 * comments(2) * trackbacks(0)

あくま

あくま
あくま
谷川俊太郎/詩 和田誠/絵  教育画劇   

 おとなになるのって、つまらない。そんなふうにまじめに考えてしまうことがあります。
 たとえば、「空想」という二文字。この二文字はどこに行ってしまったのでしょう。あれこれと空想に耽った子どもの頃が懐かしく思われます。

 むかしばなしのなかのみちをあるいていった

 男の子は大きな山を越え、川を渡り、魔女と出会います。魔女は男の子と友だちになりたいと言いますが、男の子はだまされません。男の子はレーザーガンで魔女をやっつけます。

 谷川俊太郎さんと和田誠さんがタッグを組めば、それぞれの心の奥底に眠っていた「少年」が目を覚まします。それはこの絵本を読む子どもたちとすぐに同化することのできる正真正銘の「少年」です。
 子どもたちには子どもであることのすてきさ、ぼくらおとなには自身の中に眠る「子ども」を呼び覚ますことのすてきさ、それを「あくま」は教えてくれます。

※文中の太字部分は「あくま」より引用
海 五郎 * 日本の絵本 * 13:19 * comments(0) * trackbacks(0)

7日だけのローリー

7日だけのローリー
7日だけのローリー

片山健/作  学習研究社   

 ここにはねこのことばかり書いていますが、幼い頃からおとなになるまでぼくの側にはいつも犬がいました。ぼくは犬たちとともに成長したようなものなのです。そんな子ども時代を送ったからこそ、いまはねこの海(かい)と楽しく暮らすことができるのでしょう。ずっと犬を飼ってくれていた両親に今更ながら感謝しなければなりません。

 この絵本に出てくる男の子のところにも、ある日突然犬が舞い込みます。見たこともない犬が家の前につながれていたのです。
 男の子とお父さんは、飼い主を捜します。近所の人も手伝ってくれました。一週間経っても飼い主が見つからないときは保健所に連れて行くという約束で、お父さんは犬を家で世話することを許してくれました。
 3日目、男の子は犬と散歩に行って、女の人に名前をたずねられました。男の子は答えることができません。

 「ねえ おかあさん、いぬに なまえを つけようよ。」
 「そあねえ。うちだけの ないしょの なまえ。
 うーん、そうねえ。そう、ローリー。ローリーよ。これで きまり!」
 ローリーと いうのは おかあさんが すきな かしゅの なまえです。


 このひとりよがりでアバウトなおかあさん、いいな。
 ローリーと男の子は、仲良く時を過ごします。そして、とうとう7日目の日が近づいてきました。

 男の子と犬の7日間のふれあいを片山健さんのあたたかい絵が描き出します。お約束的な内容にもかかわらず、それがかえってホッとするような安心感を与えてくれるすてきな絵本でした。

※文中の太字部分は「7日だけのローリー」より引用
海 五郎 * 日本の絵本 * 23:17 * comments(2) * trackbacks(0)

しずかなまひる

しずかなまひる
こどものとも 年中向き 2007年 08月号

片山健  福音館書店   

 夏の昼下がり、すやすや昼寝をする幼児の寝姿ほどおおらかな時間の流れを感じさせくれるものはありません。ああ、あんな幸せな眠りをむさぼってみたい。そう思わずにはいられません。
 「こどものとも(年中向き)」の八月号は、そんなおおらかな夏の時間を描いた片山健さんの「しずかなまひる」です。

 しずかな しずかな まひるです
 みんな みんな ねむっています


 表紙にはすがすがしい青空が大きなまぶたを閉じています。そして、最初の見開きに描かれている昼寝をしている二人の子どもたち。その投げ出された四つの足の裏。もうたまらなく魅力的です。ここに描かれた子どもたちにも、この絵本を読む子どもたちにも、やがてあわただしい時の流れが否応なくやってくることでしょう。でも、いまはこのおおらかな時間を大切にしてほしい。そんな思いにかられます。
 それにしても、片山健さんの絵本にはどうしてこうおだやかな時間が流れるのでしょう。今年もまたすてきな夏の絵本に出会いました。

※文中の太字部分は「しずかなまひる」より引用


海 五郎 * 日本の絵本 * 22:10 * comments(0) * trackbacks(0)

もぐらとおおきなきりかぶ

もぐらとおおきなきりかぶ 復刻
もぐらとおおきなきりかぶ 復刻
いわきたかし/文 しまだみつお/絵  童話屋   

 先ほどのニュースでは、七月としては過去最大の台風が鹿児島県に上陸したそうです。映像からはあらためて大雨の脅威を感じさせられました。台風はこれから本州へと進路を向けるようです。みなさん、くれぐれもご注意ください。

 この台風が過ぎ去れば、いよいよ夏の訪れでしょうか。絵本や子どもの本の世界にも夏がやってきます。子どもたちにとって、抜けるような青空や、はるかな水平線の向こうに輝く明日を見ることのできるこの季節の本との出会いは、きっといつもにも増して心に残ることでしょう。
 絵本にはクリスマス・シーズンに負けず劣らず、優れた「夏物」が存在します。夏の青空、白い砂浜、麦わら帽子、すいかやトマト、釣り竿、日焼けした肌、大粒の汗。夏を彩るものには事欠きません。数ある「夏物」絵本から、みなさんもまぶしい夏を見つけてみてください。

 きょうはそんな「夏物」絵本の中から、「もぐらとおおきなきりかぶ」の紹介です。この絵本は五月に紹介した「もぐらのおとしあな」と同じ「もぐらのもっく」のシリーズです。このシリーズはぜんぶで四冊あって、それぞれに春夏秋冬のお話が収められています。
 もちろんこの「もぐらとおおきなきりかぶ」は夏のお話。もぐらのもっくは森のはずれで見つけた大きな切り株が大好きになります。もっくは毎日そこに遊びに行きました。
 ところがある日のこと、切り株のあったところに、くまののんたがのんびり座っていました。のんたも切り株が気に入ってしまったのです。
 翌朝、もっくとのんたはまだ暗いうちから走って出かけました。そして、切り株のところでばったり鉢合わせ。二人は切り株を奪い合って、大喧嘩です。あげくの果ては、喧嘩している隙に、のねずみのちょろたちに切り株を奪われてしまう始末。

 「ぼくたち ちょっと たんまにしない?」
 もっくが いいました。
 「うん、たんま。はらぺこで めがまわりそう」
 のんたが いいました。


 二人は仲良く切り株に腰掛け、その日はそのまま「たんま」で行くことにしました。でも、二人とも心の中では同じことを考えていたのです。何を考えていたかは、わかりますね?
 ところで、この「たんま」を子どもたちは上手に使います。おとなにも「たんま」ができたら、もう少し人間関係がスムーズになることでしょう。

※文中の太字部分は「もぐらとおおきなきりかぶ」より引用

海 五郎 * 日本の絵本 * 15:19 * comments(0) * trackbacks(0)
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