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北極のナヌー

北極のナヌー プレミアム・エディション
北極のナヌー プレミアム・エディション

 このままだと2040年には北極の氷は消滅するらしい。そうなれば白くまは住むところがなくなってしまうとは、誰もが思うこと。温暖化を止めなくては。
 でもこの映画を見ると、すでに温暖化は厳しい現実を白くまなど北極で生きる動物たちに突きつけていることがわかる。北極が寒いからこそ、そこで暮らす生き物たちの生活が成り立ってきたのだ。
 映画はことさら温暖化への警鐘を声高に叫ぶのではなく、そんな現実の中で生まれた白クマのナヌーとセイウチのシーラが、やがて自ら新しい生命を産むまでを丹念に追い続けたものだ。撮影期間は10年間にも及んだという。
 海に厚い氷が張る期間が短くなれば、白くまは狩りで食べ物を得られなくなってしまう。ナヌーと一緒に生まれた弟は、飢えが理由でその短い生涯を終える。死んでからも寄り添って暖める母ぐまとナヌー。やがてその場を離れることを決意した2匹が歩き出してから、振り返る場面ほど我々人間に強く訴えかけるものはない。

 LEARN MORE.TAKE ACTION. (地球の現実を知り 行動に移そう)

 映画の最後でさりげなく挿入されるこのテロップは重い。人類はわずか数百年の近代文明によって何千年も続いてきた動物たちの営みを破壊しようとしている。それが人類の子孫にまで及ばないとは誰も保証することができない。
海 五郎 * 映像 * 23:48 * comments(0) * trackbacks(24)

ジブリ映画「ゲド戦記」

 これまであえて感想をここには書かずに来ましたが、そろそろスタジオ・ジブリの「ゲド戦記」について少しだけ書いておきます。

 映画の制作が発表されて、ジブリのサイトでその進捗状況を知ることができるようになったとき、ぼくは大きな疑問を抱かずにはいられませんでした。それは宮崎駿さんがいつも枕元に置いているという「ゲド戦記」でありながら、監督をするのは息子の宮崎吾朗さんだということ、しかもさらに不可解だったのは作者ル=グウィンさんのところに交渉に行っているのは宮崎駿さんであって監督の宮崎吾朗さんではないということ。
 そういった様子を見ていて、ぼくには「宮崎駿さんが長年の夢が現実になる段になってその困難さから逃げ出したのではないだろうか」という良からぬ憶測が頭をよぎりました。
 そして実際に出来上がった作品を見て、その憶測はさらに確信の度合いを強めて行ったのです。まあ、これはどこまで行っても宮崎駿さん本人だけが知る心の問題ですから、憶測の域を出ないのですけど。
 原作のファンであれば壮大なアースシーの世界をアニメ化することの困難さは容易に想像が付くことです。原作の熱心な読者には、この映画を見ないと賢明な判断をされた方も多かったことでしょう。残念ながらぼくにはそういった賢明さが欠けています。
 はたしてぼくは映画館のシートで、自分がいったい何を見ているのかわからずに途方に暮れたのでした。原作と共通なのは固有名詞だけで、その性格も背負っている運命もすべて違うのですから、原作を知っている分だけ混乱します。おまけに全体を通してストーリーが一貫性に欠けているため、まったく何を描いているのかがわからないのです。上映終了後に隣の席にいた若いカップルが、「これは原作を読んでいないとわからないのかもしれないね」と話していたので、思わず「原作を読んでいるともっとわからないと思うよ」と声に出さずにつぶやいてしまいました。
 原作者をして「早く忘れてしまいたい出来事」とまで言わせてしまったスタジオ・ジブリの対応が残念でなりません(原作者ル=グウィンさんの見解はこちらで読むことができます)。
 そんな内容でありながら昨年の映画興行収入第一位なのですから、お金が文化を堕落させるとまでつい考えてしまいました。スタジオ・ジブリのみなさんがかつての心意気を取り戻されることをジブリ・ファンの一人として切に望みます。

 批判的なことばかり書いてきましたが、つい先日、映画「ゲド戦記」の副産物として生まれたすばらしいものに出会いました。次回はそのことについて書こうと思います。

海 五郎 * 映像 * 02:30 * comments(0) * trackbacks(1)

アルプスの少女ハイジ

アルプスの少女ハイジ(1)
アルプスの少女ハイジ(1)
バンダイビジュアル

 ここのところ毎晩、寝る前にこの作品を見ています。「不朽の名作」とはこういうのをいうのでしょうか。一九七四年の放映時も、その後の再放送も見ましたが、全話を通しで見るのは初めてのことです。
 この作品は翌年に「フランダースの犬」から始まる「世界名作劇場」へ、そして現在のジブリの諸作に連なっていくやはり原点ともいうべきものでしょう。高畑勲さんが演出を務め、宮崎駿さんも画面設定という形で関わっています。
 あらためて見直して思うのは、物語のおもしろさ。原作との違いが指摘されたりしてきましたが、無邪気なハイジが周りのの人たちを変えていくストーリーは文句なくおもしろいです。そして、背景画を含めて手抜きのない作画は、CGに慣れてしまった今見ても古さを感じません。制作スタッフのこの作品にかけた志には、感動すら覚えます。
 昨今はテレビにこうした良質なコンテンツが少なく、少し寂しくもなりますね。子どもにいい番組がないとお嘆きのご両親、レンタルも出ていますのでぜひ一緒に鑑賞されてはいかがでしょうか。

 じつは五十を過ぎたぼくは、アルムおんじを手本に老年期を送りたいとひそかに考えていて、この作品をあらためて見てみようと思ったのです。まあ、なかなか理想と現実は一致しそうもありませんが。
 ところで、以前見たときと一番印象が違うのは、ロッテンマイヤーさんです。今回は彼女のお茶目な部分が気に入ったし、彼女がクララを思う気持ちが理解できました。これはぼくも少しは成長したというこでしょうか(笑)。
海 五郎 * 映像 * 02:34 * comments(2) * trackbacks(0)

セロ弾きのゴーシュ

セロ弾きのゴーシュ
セロ弾きのゴーシュ
高畑勲/監督  ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント

 最近は「指輪物語」、「ハリーポッター」、「ナルニア」とファンタジーの映画化続き、いよいよこの夏には「ゲド戦記」も封切られます。
 これら映画化作品が封切られる度に話題になる原作か映画という論議ですが、ぼくは以前にも書きましたが、あくまでも映画化作品は原作を読んでからの二次的な楽しみと位置づけています。したがって、ぼくにとって映画の善し悪しは制作者が原作に対してどれだけ愛着をもっているかということで決まります。自分の好きな作品に対して、制作者に同じ愛着が感じられれば、そのことだけで観ていて悪い気はしません。

 その点、この「セロ弾きのゴーシュ」には頭が下がります。脚本・監督が高畑勲さん、キャラクターデザインとすべての原画が「アルプスの少女ハイジ」の才田俊次さん、美術が「母を訪ねて三千里」の椋尾篁さん。どのパートにも、そこには宮澤賢治への、原作への愛情が溢れています。これはもうアニメの達人が集まり、精魂込めて作り上げた不朽の名作といえるでしょう。
 とくに故椋尾篁さんが描いた背景は水墨画のような優しい光と影が美しく、賢治が空想した「イーハトヴ」とはきっとこんな世界だったのだと、これまで自分が漠然と想像していたものと違和感なく重なります。

 賢治の童話にはすばらしい作品が多いのですが、意外と「本」としていまの子どもたちにすすめられるものは数少ないように思います。むしろ、このアニメ作品から賢治の世界に入っていくのがいいかもしれませんね。
 この作品は一九八〇年に制作され、以前もDVDが出ていましたが、今回は「ジブリがいっぱい」のシリーズとして再発されることになりました。これを機会にこのすぐれた作品がひとりでも多くの方に鑑賞されること、再評価されることを願っています。

海 五郎 * 映像 * 01:49 * comments(4) * trackbacks(0)

こねこ

こねこ
こねこ
イワン・ポポフ/監督 アンドレイ・クズネツォフ・他/出演  ロシア  

 いつもユニークな絵本紹介を楽しみにしている「いつも絵本といっしょ」にこの「こねこ」というDVDが紹介されているのを見て、その場で衝動買いに走ったりせず、冷静に一週間悩んだあげく、やはり買ってしまいました(笑)。

 でもこの映画、いいですよ。ぼくがねこ好きだということを割り引いても十二分に楽しめる映画でした。ねこへのということではなく、愛情にあふれているんです。以前紹介したパペット・アニメ「ミトン」もそうですが、ロシアの作品、恐るべしですね。

 女の子がおばあちゃんに買ってもらった仔猫が、ある日窓からトラックの屋根に落ちて都会へ迷い込むお話です。仔猫の名前はチグラーシャ、ロシア語で「トラ」のことだそうです。
 トラックで家から遠くに運ばれてしまったチグラーシャには大冒険が待っています。危ないところを勇敢なワーシャという名前のねこ助けられ、チグラーシャはワーシャの暮らしている家の居候になります。
 ワーシャの主人フェージャは大のねこ好きで、そこにはたくさんのねこが暮らしていました。このフェージャを演じているアンドレイ・クズネツォフという人は有名なサーカスの猫使いらしいのですが、表情や仕草にねこへの優しさがあふれていて、それがこの映画をとても引き立てています。
 また、チグラーシャを探す家族の様子、父親が所属するオーケストラの団員まで協力するところなど、ロシアの都会で暮らす人たちの優しい側面が描かれていて好感が持てました。
 そして、フェージャが地上げ屋に追い立てられたり、ねこたちのハラハラドキドキの冒険劇が繰り広げられます。ねこと暮らしている人間にはもうたまりません。

 この映画、外国映画としてはあまり例のない「文部省選定映画」だそうですが、文科省も捨てたものではないですね。ロシアは日本にとって近くて遠い国ですが、この作品や「ミトン」を見ると、ぐっとロシアに親近感がわいてくることでしょう。日本の子どもたちにも、ぜひ見てもらいたい作品です。

 ところで、先日訪れた沖縄でもたくさんのねこたちに出会いました。沖縄には、ねこを大切にしている人が多いようです。ねこたちがどの程度人間を警戒しているかで、そのことはわかりますね。ねこにとって暮らしやすいところは、人間にとっても暮らしやすいところだと思います。


沖縄・奥武島のねこ
沖縄・奥武島のねこ
海 五郎 * 映像 * 03:48 * comments(7) * trackbacks(1)

やかまし村の子どもたち

やかまし村の子どもたち
やかまし村の子どもたち

 ぼくが大好きな映画「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」の監督であるラッセ・ハルストレムが、リンドグレーンの「やかまし村の子どもたち」を映画化していると聞いて以前から見たかったのですが、やっとDVDで見ることができました。
 ぼくらの世代にとっては、小さい頃に翻訳の児童文学はまだまだ少なかったので、リンドグレーンといえば、外国児童文学の代名詞みたいな人です。「名探偵カッレくん」、「長くつ下のピッピ」、そしてこの「やかまし村」のシリーズなど夢中になって読んだことを覚えています。
 それにしても、あのとりとめのない「やかまし村の子どもたち」をどう映画にするのだろうというのが、見る前の疑問でした。あれって、映画になるの?

 ところが、さすがに「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」の監督です。あまりの見事な出来に夢見心地の1時間半でした。
 美しいスウェーデンの田舎風景、いとおしさ一杯の太陽の光、短い夏を彩る草木の緑と水辺、そしてそのなかで遊ぶ子どもたちの姿にうっとりです。とくに白夜の優しい陰影は印象的で、ぼくはこの映画を見て初めて白夜とはどういうものなのかを理解することができました。ほとんうに丁寧につくられた映画だと思います。
 きっとこの監督も小さい頃にリンドグレーンの諸作を読んで育ったのでしょう。故郷への愛情と原作者への愛情が作品の隅々に感じられ、そのことが見る人の心を掴みます。
 いまはハリウッドで映画を制作している監督ですが、これはハリウッドではつくることが不可能な映画ですね。続編の「やかまし村の春夏秋冬」も早く見なくては。


海 五郎 * 映像 * 19:24 * comments(6) * trackbacks(0)

ミトン(パペット・アニメ)

ミトン
ミトン
ロマン・カチャーノフ/監督  ジェネオン エンタテインメント  

 先日、アオイさんのコメントを読ませていただいているうちに、どうしても以前映画館で観たアニメの「ミトン」にもう一度会いたくなってしまいました。早速、ネットのレンタルDVDにリクエストを入れてみると運良くすぐに届き、感激の「ミトン」との再会です。
 この作品は7月に紹介した絵本版「ミトン」のもとになったパペット・アニメで、「チェブラーシカ」で日本でも人気を得たロシア(当時はソ連ですね)のロマン・カチャーノフ監督が、1967年に制作したものです。日本で2年ほど前に劇場公開されたときも小さな映画館だったとはいえ連日満員、ロングラン上映でした。
 「ミトン」はわずか10分のパペット・アニメで、出てくる人間に台詞はありません。でも、その10分のなかに犬を飼いたがっている女の子のせつない思い、願いが夢となってかなうひととき、夢から覚めるときの悲しさ、さらにはその夢が現実のものとなる結末まで、ぎっしりとまるで小さな宝石箱のように詰まっています。
 この作品がすばらしいのは現実から夢へ、そして再び夢から現実へというその境目がとても細やかに描かれていることでしょう。だからこそ女の子のせつない思いも、喜びも、悲しみも痛いくらいに観る人に届くのです。

 女の子が引きずっていた自分の赤いミトンを子犬のようだと思った瞬間、女の子はもう片方の手にはめていたミトンをそっとポケットにしまいます...。そのせつない仕草に何度も繰り返しその場面を見てしまいました。ぼくがこれまでに見た映像のシーンでこれほどせつなく、またそのせつなさを伝える制作者の優しいまなざしを感じたものはありません。
 続いて女の子が家に帰って、母親の前で子犬がもとのミトンになってしまったとき、そのミトンにミルクを飲ませようとお皿のふちまでミトンを運ぶシーン。この場面も泣けるんです。そして、ラストの母親のすてきな表情がハッピー・エンドを運んでくれます。

 やはり、ロマン・カチャーノフはただ者ではないですね。手元に置いて心がかさついてしまったときに、繰り返し見てみたい作品です。
 ひとりでも多くの方がこの作品に出会われることを心から願っています。

海 五郎 * 映像 * 04:01 * comments(14) * trackbacks(4)
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