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きみとぼく

きみとぼく
きみとぼく
今江祥智/作 長新太/絵  BL出版   

 人生で何を大切にしなければならないのか、優れた童話はさりげなくそれを子どもたちに伝えてくれます。そんな童話に子ども時代にどれだけ出会うことができるか、それは子どもの人生を大きく変えることにもなるでしょう。
 ぼくがそんな童話としていつも思い浮かべるのが今江祥智さんのこの「きみとぼく」です。

 ぼくはシロサイのライノ。だけど。だれもライノ。なんてよんでくれない。
 −おい、〈おしゃべり〉とくる。
 そして、きみはサイトリのジーナ。だけどみんなジーナなんてよばずに、
 −やあ、〈ちかめ〉っていう。
 でも、ぼくたちは、あのときからずっとともだち。あのとき…


 サイとその体からダニを取るサイ鳥はギブ&テイクの関係としてよく知られていますが、この童話はそんなライノとジーナの物語。おしゃべりと近眼のためにそれぞれひとりぼっちだったふたりが出会うことで、そこにやさしさに溢れた友情が生まれます。
 「きみ」と呼べる相手がいることの幸せと、相手を思いやることの尊さで紡いだすてきなお話。
 ぼくがこの歳になって読むと、後悔の思いがこみ上げてちょっと胸が痛むのですが、そんな後悔をおとなになって味わわないためにも、いまの子どもたちにぜひ読んでほしいと思います。

 ところで、この本はしばらく絶版になっていましたが、昨年の夏に新版として復刊されました。巻頭に続く長新太さんの草原の絵は、何度見ても不思議な魅力があります。そして、今回の新版では杉浦範茂さんの装丁で、その魅力が倍加されました。
 いつでも手の届くところに置いておきたい一冊です。

※文中の太字部分は「きみとぼく」より引用


海 五郎 * 読み物 * 23:38 * comments(0) * trackbacks(0)

マイカのこうのとり

マイカのこうのとり
マイカのこうのとり
ベンノー・プルードラ/作 上田真而子/訳 いせひでこ/絵  岩波書店   

 作者のベンノー・プルードラという人はドイツ(旧東ドイツ)の作家で、「ぼくたちの船タンバリ」(岩波少年文庫)という作品はとても印象深い作品でした。
 その作者がドイツ統一後の1991年に出版したのがこの「マイカのこうのとり」。作者の独特の作風に、邦訳ではいせひでこさんの挿絵が添えられるとあって、とても楽しみにしていた一冊です。

 少女マイカの家の納屋の屋根には、マイカが生まれる7年前から毎年こうのとりがアフリカから渡ってくるようになっていました。
 そのこうのとりが三羽の雛を孵したのですが、一羽だけ灰色をした雛がいました。ほかの二羽と違って飛ぶこともできません。
 親鳥たちに巣から追い落とされて庭に降り立った灰色のこうのとりは、マイカになつくようになります。
 おとうさんが何度も巣に戻したり飛ぶことを覚えさせようとしましたが、灰色のこうのとりはその度に巣を追い落とされ、飛ぶことも一向に覚える気配がありません。
 でも、マイカはこうのとりがこのまま飛ばなければ、ずっと一緒にいられると密かに飛ばないことを願っていました。

 マイカの幼い気持ち、そして父親と母親それぞれの受け止め方。それらが淡々と描かれたこの物語は驚くほどみずみずしい詩情に溢れています。この作品の魅力をどう伝えればいいのか、残念ながらぼくにはその言葉が思いつきません。多くの子どもたちにこの本が手にとって読まれることを願うばかりです。

海 五郎 * 読み物 * 16:30 * comments(0) * trackbacks(0)

だれにあえるかな

だれにあえるかな (日本の名作童話)
だれにあえるかな (日本の名作童話)
工藤直子/作 ほてはまたかし/絵  岩崎書店   

 風が冷たくまだまだ肌寒い毎日ですが、春は一歩一歩近づいているようです。散歩先で見かける桜の枝も、その先が少しずつふくらみ始めています。
 きのう、「のはらうたカレンダー」の三月を開くと、そこにはたんぽぽの綿毛が一面に舞い上がっていました。

 とんでいこう どこまでも
 あした たくさんの「こんにちは」に であうために


 この季節、工藤直子さんの詩や童話はよく似合います。きょうは工藤さんの童話に「のはらうたカレンダー」の保手浜孝さんが挿絵を描いている「だれにあえるかな」を紹介しましょう。
 この本には、工藤さんの童話が八編収められています。どれも温かで、切ない工藤さんならではのお話。春の暖かな窓辺で読むのにはぴったりです。

 お日さまに おこされて、
 春風は、大きなあくび。
 それから、せのびして いいました。
 「や、お日さま。や、みんな。おまちどお」
                   −「ふきのとう」より


 絵本で育った子どもたちがやがて文字が中心の読み物へと成長していくとき、そこで出会う本はとても大切だと思います。そんなタイミングで、多くの子どもたちに出会ってほしいのがこの「だれにあえるかな」のような一冊です。
 もちろん誰かに読んでもらうのもいいけれど、自分のペースで、自分のリズムで、読んでみてほしい。そんふうにも思います。

※文中の太字部分は「のはらうたカレンダー」、「だれにあえるかな」より引用

海 五郎 * 読み物 * 23:59 * comments(0) * trackbacks(0)

遊んで 遊んで

遊んで遊んで―リンドグレーンの子ども時代
遊んで遊んで―リンドグレーンの子ども時代
クリスティーナ・ビヨルク/文 エヴァ・エリクソン/絵 石井登志子/訳  岩波書店  

 半世紀以上にわたって世界中の子どもたちを魅了し続けてきたアストリッド・リンドグレーンの物語。そのあふれるような空想力はどこから湧き出てきたのでしょうか。秘密の泉はアストリッドの子ども時代にありました。

 「遊んで、遊んで……
 わたしたちが遊び死にしなかったのは、不思議なくらいです!」
                     −アストリッド・リンドグレーン


 スウェーデンの南東部にある小さな町ヴィンメルビー。豊かな自然に囲まれた農場で、アストリッドは優しい両親に見守られ、ひとつ年上の兄、二人の妹と共にのびのびと育ちました。
 この「遊んで 遊んで」は、そんなアストリッドの子ども時代を伝える伝記本です。驚くべきことに、やかまし村やピッピなどの物語に出てくるお話は、アストリッドが実際に子どもの頃に体験したことがもとになっているのでした。具体的にどのエピソードがどのお話のどの場面に使われているかの注記もおもしろく、ユーモラスなイラストや当時の様子を伝える写真もちりばめられていて、リンドグレーンのファンにとってはどこまでも興味が尽きません。

 アストリッドの作品に満ち溢れる子どもであることの幸福感は、彼女自身の幸せに満ちた子ども時代から生まれたのですね。しかし、それは恵まれた環境だけではなく、彼女自身の「楽しさを創造する力」が人並み外れたものであったことにもよるのでしょう。
 小学生の頃にリンドグレーン作品を読んだ、すべての人におすすめの一冊です。

※文中の太字部分は「遊んで 遊んで」より引用
海 五郎 * 読み物 * 13:10 * comments(0) * trackbacks(0)

やかまし村の子どもたち

やかまし村の子どもたち (岩波少年文庫(128))
やかまし村の子どもたち (岩波少年文庫(128))
アストリッド・リンドグレーン/作 大塚勇三/訳  岩波書店   

 数ある児童文学作品の中でアストリッド・リンドグレーンの諸作、とりわけ「やかまし村」のシリーズは特別な作品であるように思います。それは子どもであることの幸福感とでも呼ぶべきものが作品全体に満ち溢れているからです。
 ぼくが子どもだったころは、まだ児童文学と呼べるような作品も数少なく、より一層の輝きを「やかまし村」は放っていました。しかし、たくさんの優れた児童書を読むことができるようになった今も、けっしてその価値は色褪せるものではありません。

 「やかまし村の子どもたち」を再読しました。何度読読み返してみても、やかまし村の子どもたちが過ごす至福の時間はそのままです。
 やかまし村に暮らす六人の子どもたちにかかると、どんな平凡なこと、どんな退屈なことも魔法のように楽しさに変わります。たとえば、遠く離れた大村までの通学はつらくて大変なはずですが、彼らはこんな具合です。

 「だいたいさ、道しかあるいちゃいけないなんて、だれがきめたんかな?」
 すると、ブリッダがいいました。
 「きっと、どこかの大人がかんがえだしたのよ。」
 「そんなとこだろうな。」と、ラッセはいいました。
 わたしたちは、垣根のうえをどこまでもあるいていきましたが、これは、じつ
 におもしろいので、わたしは、「もう、ぜったい、道のうえなんかあるくまい。」
 とおもいました。


 ぼくはこういった子どもたちの力を「楽しさを創造する力」と呼んでいますが、じつはいつの時代も、どの子どもたちにもこの力は備わっているのです。ぼくは様々な活動を多くの子どもたちとともにしてきましたが、その力を持ち合わせていない子どもにお目にかかったことはありません。
 ただ、子どもたちがそういった才能を発揮する機会は、残念ながらいまのこの国の多くの子どもたちからは奪い去られているように思います。大人の方はこの「やかまし村の子どもたち」を注意深く読んでみてください。やかまし村の子どもたちが至福の時を過ごすことができるのは、自然に恵まれたやかまし村のロケーションのためではなく、子どもたちをやさしく見守る大人の眼差しがあってのことだということを。そして、それは大人がその気になればいつでも子どもたちに提供することのできる環境なのです。

 いつも子どもの視線で物語を描き続けたリンドグレーンの名作。すべての子どもたちに読んでほしい一冊です。

※文中の太字部分は「やかまし村の子どもたち」より引用

海 五郎 * 読み物 * 17:54 * comments(4) * trackbacks(0)

おはようスーちゃん

おはようスーちゃん
おはようスーちゃん
ジョーン・G.ロビンソン/作・絵 中川李枝子/訳  アリス館   

 もうすぐ12月ですね。この「わくわく本」もすっかり週一回の更新が通常ペースになってしまって、紹介したい本が机の上に山積みです。今年はなんとしても紹介したいクリスマスの絵本があるので「クリスマス特集」もやりたいし、少し気合いを入れて更新に努めていきたいと思っています。

 きょうの本はことり文庫で勧められて購入した「おはようスーちゃん」。

 もう一度あらためて人間として生まれ変わるなら男に生まれたいか、女に生まれたいかというのはとても難しいのですが、もしもそんな選択を迫られたら悩んだあげくにぼくはもう一度男に生まれることを選ぶような気がします。それは男の方がいいというよりも、もはや終盤に差し掛かりつつある今の人生に対する悔いをもう一度やり直すことで拭い去りたいという思いからなんですけどね。
 しかし、その選択が幼年期か子ども時代に限られたものであれば、ぼくは迷うことなく女の子としてその時を過ごすことを選びます。こんなことを書くと誤解されるかもしれませんが、昔から一度女の子をやってみたいというのがぼくの秘かな願望でした。

 「そうだわ」と、スーちゃんは おもいつきました。「きょうは、セモリナのお
 たんじょう日にしましょう。バースデイケーキをつくらなくちゃ」
  スーちゃんは きょろきょろしながら 庭をあちこちさがして、いいものを
 みつけました。赤いお花が一輪さいた ちいさな植木鉢、ひっくりかえせば、
 ケーキに ぴったりじゃありませんか。


 小さな女の子の日常を描いたこの物語には、女の子ならではの無邪気さと楽しさが溢れています。スーちゃんと同じ女の子にはもちろん、ぼくと同じような願望を抱いている男の子がいるとしたらその子にとっても小さな宝石箱のように思える本でしょう。
 作者のジョーンさんには「くまのテディ・ロビンソン」(福音館・絶版)という名作がありますが、この「おはようスーちゃん」も幼年文学と呼ぶにふさわしい作品です。

※文中の太字部分は「おはようスーちゃん」より引用


海 五郎 * 読み物 * 00:04 * comments(0) * trackbacks(0)

あるひあひるがあるいていると

あるひあひるがあるいていると (あいうえおパラダイス あ)
あるひあひるがあるいていると (あいうえおパラダイス あ)
二宮由紀子/作 高畠純/絵  理論社   

 ちょっと事情があってなかなか新しい記事をエントリーできないでいますが、「わくわく本」はけっして閉店してしまったわけではありませんので、よろしくお願いします。たぶん来月には以前のペースで紹介できると思います。

 というわけで、きょうはこの間に出会った抱腹絶倒の「あるひ あひるが あるいていると」という本を簡単に紹介します。この本は「あいうえおパラダイス」と題されたシリーズの第一冊で、ご想像の通り次巻からは「か行」以降が続き、各巻にそれぞれ五話のお話が収録されます。

 ある日 あひるが 歩いていると、
 頭に あなの あいた あんころもちが
 足もとから あらわれて
 「あいたたた! あんたの 足が 当たって
 あたしの 頭に あなが あいたわ。
 あーん、あーん、あーん、あーん……」


 ご覧の通り、一話目は「あ」から始まるコトバばかりで書かれています。これは実際に読み進めてみると想像を絶した世界で、あらためて日本語の豊かさに驚かされます。ちょっと強引なところもありますが、それはご愛敬。こんな本を読んで育った子どもはきっと語彙が豊富になるでしょう。
 二巻目以降、それぞれ別の人が絵を付けられるようで、これからの刊行も楽しみです。

一話目はこんな具合に終わります。

 あひるは あめの あまい アップルミントの あじを
 あじわいながら あんころもちと あくしゅしました。


※文中の太字部分は「あるひあひるがあるいていると」より引用


海 五郎 * 読み物 * 13:58 * comments(0) * trackbacks(0)

ムーン・ダークの戦い

ムーン・ダークの戦い
ムーン・ダークの戦い

パトリシア・ライトソン/作  岩波書店   

 ぼくが猫の海(かい)と一緒に暮らす部屋の窓は大きな雑木林に面していることもあって、窓の外を様々な生き物が行き交います。スズメやカラス、どういうわけか今年は夏になっても居座り続けているウグイスなどの野鳥。コガネムシ、カミキリムシ、蛾、蜘蛛といった小動物。そして野良猫や捨てられたのか迷子になったのか林で暮らす室内犬までいるのです。
 海は基本的には外に出さないので、いつもは窓越しにそういった動物たちにちょっかいを出しています。海自身はいっぱしの野生動物気取りなのですが、見ていると外の動物からは「おまえはペットじゃないか」と見下されているようで、それはそれでなんだか微笑ましい光景です。

 この本の主人公であるブルーも人間に飼われている犬です。物語の舞台はオーストラリアの人里離れた丘陵地帯で、ブルーのまわりにはたくさんの野生動物が暮らしています。オーストラリア特有のワラビー、カンガルー、コアラなどから、コウモリ、カエル、野ネズミ、そしてさまざまな野鳥までたくさんの動物たちです。
 そんな動物たちの中でブルーは、やはり「皿から食べものをもらう動物」としてどこかあざけりの目で見られているのですが、そこに暮らす一員であることにかわりはありません。

 ある時、食べものをめぐってバンディクートと野ネズミの間で戦争が起こりかけました。森の木が切り倒され、そこから移動した大コウモリが土地の釣り合いを乱してしまったのです。
 しかしある夜、キーティングと呼ばれる黒い肌の男が助けに現れ(このキーティングはじつは月です)、動物たち全員が協力して大がかりな作戦が始まります。
 物語はオーストラリアの動物たちの世界を描くと同時に、オーストラリア原住民の神話を巧みに取り込んでいて飽きさせません。
 また、邦訳にあたって加えられた薮内正幸さんによる動植物の絵がとても理解を助けてくれます。夏休みの読書におすすめの一冊です。

海 五郎 * 読み物 * 17:42 * comments(2) * trackbacks(0)

やぎと少年

やぎと少年
やぎと少年
アイザック・B・シンガー/作 M・センダック/絵 工藤幸雄/訳  岩波書店   

 近頃ではインターネットの普及もあって、読者の声が良書の復刊に着実に反映しているように思います。児童書とて例外ではありません。先月も岩波書店から多数の優れた児童書が復刊されました。

 その中からきょうは、ぜひこの機会にご家庭の蔵書に加えていただきたい一冊「やぎと少年」の紹介です。
 この本の著者アイザック・B・シンガーさんは一九〇四年ポーランドに生まれたユダヤ人で、第二次世界大戦前にアメリカに渡り、その後一九七八年にノーベル文学賞を受賞しました。彼は東ヨーロッパのユダヤ人が共通語として使用していたイディシ語で物語を書く異色の作家であり、「イディシ語の作家としてノーベル賞を受ける最後の作家」といわれました。第二次世界大戦を経て、東ヨーロッパでは多くのユダヤ人が犠牲となり、イディシ語そのものが滅びようとしている言語だからです。

  わたくしは〈おとなになる機会を持てなかったおおぜいの子どもたち〉にこの本を捧
 げます。あの子たちが、大きくなれなかったのは、ばかけた戦争、ざんこくな迫害が、
 町まちを荒らして、罪のない家庭をめちゃくちゃにしたせいでした。みなさん自身が、
 お父さん、お母さんになったとき、自分の子どもばかりではなしに、世界じゅうの良い
 子どもたちみんなを、かわいがってほしい、わたくしは、そう願っています。
                                 −「やぎと少年」まえがきより

 まるで死んでいった人たちに向けて物語を綴るように多くの作品をイディシ語で書き続けた作家の思いは、この子どもに向けて書かれた「やぎと少年」でも同様です。いや、「文学が力を失い、物語を話してきかせることが忘れられた芸となりつつある現代では、子どもたちこそ最良の読者なのです」というシンガーさんは、自分の中に思い出としてあって今はこの世から失われてしまったワルシャワの同胞の姿を長くとどめるためにあえて子どもを読者に選んで書いたのでしょう。
 同じくワルシャワからアメリカに渡った両親をもつモーリス・センダックさんの絵とともに、この「やぎと少年」はそれこそ文学の「世界遺産」として長く読み継がれていってほしい本だと思います。

 本書には作者が幼い頃に母や祖母から聞いた昔話をもとにした七編の物語が収められています。その多くにはシュレミールと呼ばれるまぬけで滑稽な人たちが登場しますが、その思わず笑いを誘う話から読者はきっと大切なことを受け取ることになるでしょう。
 そして、やぎと少年の心の交流を描いた表題作は美しい珠玉の作品です。このすばらしい物語が多くの子どもたちに読まれることを願ってやみません。

海 五郎 * 読み物 * 21:29 * comments(2) * trackbacks(0)

魂食らい

魂食らい
魂食らい
ミシェル・ペイヴァー/作 さくまゆみこ/訳 酒井駒子/画  評論社   

 六千年前の世界を描く壮大なファンタジー「クロニクル千古の闇」も、いよいよ第三巻「魂食らい」が発売になりました。
 第一巻「オオカミ族の少年」ではまだ幼かったオオカミのウルフも成長して二十ヶ月です。

  ウルフが木々の間をぬってぴょんぴょんはねるように走ってくると、トラクのそば
 まで来て止まり、体をふって雪をはらい、尻尾をふった。


 前巻では、なかなかウルフが登場せずにヤキモキさせられましたが、今回はオオカミ族の少年トラクとウルフ、そしてワタリガラス族の少女レンがそろって狩りをしている場面から始まります。
 しかしそれも束の間、ウルフが何者かによって捕らえられ、それを追うトラクとレンが巨大な悪と立ち向かわなければならなくなります。

 これまで、ファンタジーというと書斎派的なイメージの作家が多かった中で、この物語の作者ミシェル・ペイヴァーさんは文献研究にとどまらず、自らがフィールド・ワークで得た経験を創作の源としていて、それが物語に他にはないリアリティーを与えています。今回は凍てつく雪の世界が舞台ですが、そこに暮らす氏族の生活ぶりやシロクマの迫力などはそうした経験なくしては描けないものといえるでしょう。
 本巻に限っていえばその内容は既存のファンタジー作品に枠組みを借りたようにも思え、その点に不満も残りますが、これを通過儀礼として次巻以降の更なる飛躍を期待したいと思います。

 じつは、この作品に読み耽っていた夜のことです。ねこの海(かい)が窓から脱走し、野良ねこと大喧嘩の末に傷を負って帰ってきました。海にいつもとは違った野生の一面を見て、多くを共有しながらけっして相容れない部分を持つトラクとウルフの関係が妙に心に染みました。

※文中の太字部分は「魂食らい」より引用
海 五郎 * 読み物 * 01:54 * comments(4) * trackbacks(0)
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